メッセンジャー求人サイト

0120-925-851

受付時間 9:00 18:00
土日祝・年末年始除く

INTERVIEW インタビュー

PETA
湿版写真家

Peta Photo Studio

  • 大阪府出身。
    本名、松本淳。2006年から1年間、メッセンジャーとして活躍。アメリカ、カナダ、メキシコを2年かけて旅しながら各地で写真を撮る。帰国後、ライブ・インタビュー・ファッションなどでカメラマンとして幅広く活動した後に、ペータ湿版写真館を設立。光と反射の空間作品を創りだすアート集団であるミラーボーラーのメンバーでもある。

「大阪出身のペータさんが上京したのはいつですか」

東京の高校へ通うために、大阪から上京しました。

「メッセンジャーを始めたキッカケを教えてください」

まずは大学で自転車を乗るようになった話から。 初め、大学へは原チャで通ってたんですけど、4年のときに免停になっちゃって(苦笑)それで、大学の近くにあった自転車屋へ足を運ぶんですけど、そこにむっちゃカッコいい自転車が売ってて!自転車に詳しい友達に聞いたら良い自転車だって言うし、値段も8000円くらいで安かったから買ってみたんです。ロードバイクだと思ってたけど、後々、ミヤタ・エディメルクスのランドナーだと知ります(笑)とは言え、今まで乗っていたママチャリからすると別の乗り物。スピードも雲泥の差。めちゃくちゃ楽しくなって、大学までの25キロを自転車で通うようになりました。まだ、「メッセンジャー」とは出会いません(笑)
大学を卒業後、就職はせず、気ままにバイトをしながら好きな写真を撮っていました。あるとき、代々木公園のホームレスのおっちゃんから黒毛の子猫を2匹もらうんです。でも餌代なんて無かったから、子猫たちを食わせるためにちゃんと仕事で稼がねば!と決意し、好きな自転車を使ってできる仕事を探しました。
そして出会ったのが、「メッセンジャー」という仕事です。当時の事務所が住んでいたところから近いじゃん!ってことで即応募。これが始めたキッカケ!でも持っていた自転車はロードバイクではなくランドナーだったので、当時のマネージャーに「その自転車じゃ無理!」って言われて、結局別な自転車を用意しましたけど(笑)

「メッセンジャーだった時間を今振り返ると、どのような時間でしたか」

自分が超イキイキしていた時間!自分が全て解放されて、全身全霊を注ぎ込んでたかな。24時間、土日の休みもずっとメッセンジャーだったような、そんな感覚の濃厚な時間だった。あそこまで没頭できたからかもしれないけど、不安とかは一切なかった。メッセンジャーを始める前から自分を知る友人なんかは、顔付が違ったねって言います。
何のキャリアもない新卒が、努力と実力で稼げるのは素直に嬉しかった。特に雨の日なんかは気合入ったよね。誰かが雨で休んだりすると、競争相手が減る訳だからラッキーって思ってたもん。どうにか荷物を配車に積んでもらおうと、雨の日こそ気合を無線でアピールしたりして(笑)本当に面白かった!

「東京都心を毎日走り抜けた中で好きな景色はどこですか」

景色ではないけれど、泉岳寺トンネル(高輪橋架道橋)が高輪ゲートウェイ駅周辺開発のために通行止めになるのをニュースで見て、少し寂しい気持ちになりましたね。きっとメッセンジャーは皆思うんじゃないかな。
あと思い入れがあるのは、青山通りの表参道から青山1丁目までの区間。始めた頃は、この区間をノンストップで通り抜けられるとは思ってなかったんだけど、表参道で並んだ他社のベテランメッセンジャーが、自分を千切って青信号を抜けていったのを見たんです。驚きやら憧れやらと同時にそれが具体的な目標に変わって、自分の中の挑戦としてその後課すことになりました。ついに走り抜けられるようになったときは嬉しかったですよ!

「当時の自分に今声を掛けられるとすれば、何を伝えますか」

メッセンジャーをやっていた当時の自分には否定要素がないから、「そのまま楽しめ!」と伝えますかね。まったく後悔がない。

「メッセンジャーの仕事で大切なことは何ですか」

まず、メンタルむっちゃ重要だよね。 メッセンジャーのときに一度すごい気持ちが落ちたことがある(笑)気持ちが落ちてると、走りにも当然影響してきて、ミスが続いたりもした。でも、元気になるのも走るしかないんだなってそのときに思いましたね。ノルマを自分で自分につくれるのか良いところ。誰かに勝ちたいとかではなく、ライバルに認められたいって気持ちがメンタルを支えてくれたかな。それともう一つは、紙地図ね。あれは半年後に結果出ますよね。脳内に地図ができてくると距離感とかついてきて、東京を走るのが楽しくなってしょうがなかった。

「ペータさんにとって、“メッセンジャー”とは何ですか」

仲間。思い出すのは当時を一緒に過ごした皆のことばかり。週に4日とか仕事あがりにご飯へ行ってたな。先輩が良かった。皆優しいし、上下関係はないし、偉そうにしなかったし、マジで良い仲間に恵まれた。自転車好きに悪い奴はいないよねって言ってたけど、今振り返ってみて、それはうなづける。
あとは、イベント事も本当に多かった。当時は自転車ブームだったのもあるかもしれないけど、月に3回くらいは金曜の夜に東京のメッセンジャーが集まるみたいな。雑誌に取材されるようなスター的なメッセンジャーがいて華があったし、メッセンジャーではない人たちも来たりしていた。そこに壁はなくて、あの仲間のような感覚は、色々なことをやってきたけど他の職業では未だに経験がない。シンプルに“走ってるかどうか”だけ。自転車だけで繋がれている奇跡。それがなければ絶対仲良くなってない人もたくさんいただろうし(笑)全部ひっくるめてファミリーみたいって感じなのかな。
“ペータ”という名前で未だに活動を続けているのは、いつかこの名前で昔の仲間に繋がってほしいというか、皆との繋がりを切らしたくない、そんな気持ちがあるのかもしれないですね。

「その後、“メッセンジャー” が “カメラマン”で役立った
と感じたことはありますか」

カメラマンは一歩引いた立ち位置にいなきゃいけないと一般的には言われるけど、自分は逆に撮っている世界にどっぷりと浸かる。偽装してその世界に忍び寄るんじゃなくて、カルチャーに溶け込むというかね。例えば漁師を撮るとき、写真家としてそこにいるんじゃなくて、自分も1人の漁師として存在しているかのような一歩踏み込む能力を得られたと思う。(メキシコでは実際に現地で漁師をやっていた時期があるけど(笑))これは、嘘偽りなく全力でメッセンジャーを“どっぷり”やっていた経験が本当に大きい。実はメッセンジャーだったのはたった1年だったんだけど、果てしなく濃厚な1年で、胸を張って自分はメッセンジャーだったと言い切れる。それを周りも認めてくれていたし、、、有難いよね。初めからメッセンジャーは1年と決めていて、貯めたお金でアメリカへ写真を撮りに行こうと思ってた。写真家になることも初めから決めていたから。

「今後のビジョンがあれば教えてください」

今は大きく分けると4つのジャンルで活動しています。商業写真、湿版写真、記念写真、それとミラーボーラー(※)。取り組んでいる色々なこと全てをもっともっと尖らせていきたい。そして、それらを触れてくれる人たちへ分かりやすく伝えていきたいですね。
好きなことしかやらないって決めてやってきた。好きなことでも仕事としてやるってことは、それで人を納得させないといけない。そのために突き詰めてやっていく、だんだん面白くなってくる、もっと突き詰めていく、みたいな。順番は分からないけど、気付けばやってることが少しずつ変わっていくんだよね。変わるというより進化していく感じかな。そうすると最終的に、今は想像もつかない新しいことが見つかる。そんな人生がとてもラッキーだと思っていて、それすらもさらに突き詰めれば皆も見たことがない新しいことが生まれていくと思ってます。色々なことが繋がってきて、今までやってきたことが無駄じゃなくなっていくんですよね。
迷ってやらないなら、迷う暇なくやればいいと思う。楽しんでやったら勝手に繋がっていくんじゃないかな。そもそも自分のそれだってメッセンジャーから始まったんだけどね(笑)

「さすが写真家、さすが表現者、インタビューをしていて“こだわり”のようなものには迫力がありました。日々の全力が繋がっていく、感動しました。海外での旅話もかなり面白いのですが、長くなってしまうので今回は割愛させて頂きます(笑)ありがとうございました。」

  • (※)
  • 商業写真:クライアントの要求によって制作される商業材料としての写真
  • 湿版写真:日本では幕末から明治によく見られる白黒写真
  • 記念写真:人が何かしらの事柄を記念して撮られる写真