秋穂 一雄
あきほ整骨院 院長
- 福岡県出身。
30歳で地元福岡へ戻って整骨院を開業。2021年3月で17年目。親切丁寧な対応は院長の人柄そのもの。週末には愛車のピナレロでサイクリングを楽しんでいます。
メッセンジャースタートの
ストーリーを教えてください
地元は福岡になります。
30歳で整骨院を開業する夢があったので、柔道整復師の資格取得のために名古屋の専門学校へ進学し、卒業後は東京へ。当時は今ほど整骨院がなかったので修行のための上京でした。6年間くらい施術に没頭して自分の腕を磨きました。30歳には早いけれど、このタイミングで地元福岡へ帰って開業する選択肢もありました。でも、自分はずっと整骨院の中の世界にしかいなかったので、社会の目を広げたいという気持ちから外の世界を見てみたいと思いました。
身体を動かして運動も兼ねてお金を稼げる仕事を探したところ、「メッセンジャー」という仕事に出会いました。メッセンジャー説明会の帰り道、そのまま自転車屋へ行って整骨院の退職金を突っ込んでロードバイクを購入している自分がいました(笑)初のロードバイクです。今思い返すと凄い行動力!興奮したなぁ。28歳の秋でした。
メッセンジャーだった時間が今につながったなと感じたことはありますか?
もちろんです。メッセンジャーだった時間は、
精神的な面でとても自分をタフにしてくれました。始めた28歳という年齢は、世の中的にはもう落ち着いてもいいような年齢でもあるし、そのまま整骨院の仕事に携われば無理して新しいことを始めなくてもいい訳です。そんな中で、全然違うジャンルへ飛び込んでメッセンジャーやロードバイクに挑戦できたことは、世の中の一般的なタイミングに関係なく自分のタイミングで「今からでもできる」という自信を持たせてくれました。
万が一、今、目の前のモノがダメになっても「あのときできたんだから、今からだって何とかなる」って思えます。柔軟性というか、“選択”する可能性に気付けた感もあります。だから逃げたいときは逃げたっていいと思えるようにもなりました。まぁメッセンジャーってどんな天候でも走りますよね。そりゃ心身ともに鍛えられますよ(笑)2年間くらいでしたが、心身ともにとてもリフレッシュできた時間でもありました。体重も70kgくらいあったのが、60kg切りましたからね。
メッセンジャーの仕事の魅力は何ですか?
1つ荷物を運ぶということを、みんなでやっている大きなチームワークを感じられるところですね。お客様からの依頼を受けて、配車が手配し、メッセンジャーがピックして、と誰かが欠けても荷物が届くまでの“つながり”が途絶えてしまいます。
後半は配車業務にも携わりましたが、走っていたとき以上にそのつながりを感じましたし、仕事中に意識するようになりました。荷物はこうやって運ばれているんだなぁ~って。整骨院で患者様と1対1で対応するときにはない感覚なのでとても勉強になりました。
メッセンジャー時代で
思い出すエピソードはありますか?
荷物を届けたときにお客様から、「早かったね」「待っていたよ、ありがとう」などと言ってもらえたときが一番嬉しかったですし、やりがいにつながりましたね。自分のサービスに対しダイレクトな反応を受け取れるところは良かったです。
あとは、当然最初はうまくいかないですが、教えてもらいながらできることが1つ1つ増えていく達成感が積み重なっていくような感覚は今でも思えていますね。
あなたにとってメッセンジャーとは?
振り返ってみると、人生の大きな分岐点のひとつ。メッセンジャーはみんな個性がある。それぞれがそれぞれのストーリーをもって走っているから、いい刺激を受けました。自分も頑張ろうと思えましたね。今も連絡を取ったりするのは、共有した時間や想いが今でも心のどこかでつながっているのを感じるからでしょうね。仲間とか戦友みたいなものなのかなぁ。
今後の目標やモットーなど
があれば教えてください。
現在営んでいる整骨院を、
気持ちよく仕事が遂行できるような環境(職場)へとつくっていくことです。全てのサービス業に通じると思いますが、サービスを与える側と受け取る側のコミュニケーションがどのくらい円滑におこなわれ、情報を共有できているかが大切だと考えています。
整骨院でいえば、“痛い”というメッセージを受け取り、それを施術に乗せて返していく、そこに心のつながりを忘れずにいること。結局これって、気持ちよく荷物を受け取って気持ちよく荷物を届けるというお客様とのコミュニケーションを丁寧にできてこそ、早さという部分の価値がしっかりするメッセンジャーとも似ていると思います。
これからは、同じような考え方を共有できる施術士を増やしていけたらなと考えています。それが、患者様の良い結果にもつながると思っています。